2011年3月アーカイブ

3月11日 金曜日

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14時46分、竹芝のビル20Fで仕事中に地震。ちょっと前にもフェリーの揺れのような気持ち悪い地震があったばかりだから、今回もそんくらいの揺れかと思ってたら、だんだん激しくなって、みんな机の下にもぐるこむ。僕ももぐりこむ。

感覚的には、こまかくガクガク上下に揺れながら、ゆーっくり横方向に4mくらい揺さぶられまくっていた感じ。みんないろんな声を上げてて、ああ、これは本物だ、と思う。このままビルがぼきっと折れるかな?と思ったりしたけど、あとはもう、何も頭に浮かんでこなかったように思う。恐怖すら感じず、ただただ興奮してた。

サイトで、福島で震度7、23区でも震度5強、と出ているのを見た。たぶん僕がこれまでに経験した地震で一番大きかったのは、阪神のときに岡山で感じた震度4かな。東京に出てからも1度か2度震度4があったような気もする。ともかく、間違いなく一番大きい地震。地上にいたらどんな感じだったろう? ビルの上のほうのぐーらぐーらするのとはまた全然違うんだろうな。

はじめの揺れのあとも、断続的に大きな揺れがきた。お台場のほうを見ると黒煙がもくもく出ていて、喫煙所では、まんがの本棚がばったり倒れて、まんががぶちまかってた。これ、人がいたらやばかった。

笑いはあった。やけくそな笑いというか、とりあえず冗談でも言って笑っておかないと、という感じの笑い。それでも気休めになるし、その笑いを通して励まし合っているような空気というか。良い仲間同士だ。

電話もSMSも、妻にも上京しているおかん達にもまったくつながらない。

館内放送があって、ビルの中のほうが安全だから中にいてくれ、という内容。しばらく中で待機してたけど、その間も余震でゆらゆらぎしぎし。15時半くらいに、みんな非常階段を降りてって、竹芝ふ頭公園の広場に集合。ビルのまわりの歩道が陥没しているような形跡があった。

広場には近隣の会社の人たちが大集合。ヘルメットかぶった人もたくさんいた。

16時すぎ、オフィスにもどる。これまで避難訓練で何度も1Fから20Fまで上り下りしたけど、そのたびにゼエハアゼエハアして何日間か筋肉痛に苛まれたものだけど、もうあの頃の僕はいない。いるのは、平日毎日7kmくらい歩いて週末は山に登って海岸沿いを走ってる健脚の持ち主の僕。階段の途中で脱落者がちらほら。皆おでぶちゃんw

仕事どころじゃなく、あわあわ情報を追っていただけ。妻と連絡がとれた。無事。しかし停電。津波は大丈夫か、、心配。。徒歩やタクシーでみんな帰り始める。僕もタクシーで逗子まで、と思ったけど、道路がもう駄目らしく、かといって40km歩いて帰るのはさすがに無い。じゃあホテルでもとって、、といったところで、どこもいっぱいだろうし、営業しているかどうかもあやしい、、でも、会社に泊まりはやだ。あの揺れの中眠るのは無理、あ、そうだ、父母が品川プリンスに宿とってるはずだから、そこに泊めてもらおう、と思って、18時すぎに品川に向けて出発。

品川までの道、歩行者が多い。車はどんづまり。バス停には何百人だか並んでる。品川駅に近づくに連れて人が増えてった。

19時半頃、品川プリンスのロビー、人があふれてる。大型テレビに見入るひとたち。ロビーや映画館、供用スペースを、帰れない人のために解放しているとかで、人、人、人。

警備員の人に、上京している両親がここに泊まるはずなので会いに来たがどうすればよいか、ときいてみたら、GR(Guest Relation?)にきいてみてくれとのこと。そのGRのおねいさんにきいてみたら、今、宿泊客も、地震のあとみんな下におろされて、ビルの安全が確認できるまで待機しているとのこと。なので、それまでもう少し待って欲しい、と。

しばらくそのへんをうろうろして、ロビーにもどってみると、どうやら宿泊客は階段で上にあがれるようになってた。もう一度GRのおねいさんのところに行ったら、父母が部屋にもどっているかどうか、部屋にかけて確認してくれた、けど、不在らしい。彼らがもどるまで部屋で待ちたいって言ってみたら、キーがない人は入れられない、とおねいさん。いや、キー貸してよ、息子だって言ってんだから、って思ったけど、どこかでごはんでも食べてもう少し時間を潰すことにした。

ホテルの近くにある飲食店は、どこもいっぱいだったから、少し離れたところに行って、飲み屋ビルみたいなところのお店に入った。とりあえず生、と、やきそばと大根サラダ、を食べていると、見知らぬ番号から着信。出たら、従妹だった。どうやらmixiのほうから僕に何度かコンタクトをくれていたらしく。こっちのほうの人同士の電話はほぼつながらない状態だから、岡山の伯母経由で情報のやりとりをしているとのこと。父母はいま品プリの映画館にいるらしい、と教えてもらった。

そうか、じゃあ、安心だ。父母がどこか出先にいて今日は品川にもどってこれず、出先で宿をとりなおしたりしてたら今晩寝るとこないなあ、と、恐れていたことは避けられるようで、ほっとした。

ごはん食べ終わってからホテルにもどって、父母を映画館に探しに行く前にもう1回GRのおねいさんに部屋にいるかどうか確認してもらった、ら、いた。エレベーターが1基だけ復旧してて、それで部屋にもどっていたらしい。

で、ぬくぬくの部屋へ。おかんいた。僕は、泊まる場所の確保のことばかり考えて、彼らの安全の心配は、あんまりしてなかったんだけど、向こうはずっと心配していた、と。僕だけずっと連絡がとれなかった、と。彼らのその日一日の出来事を一通り聞いた。

ほしいものメモ

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  • 二人乗りカヤック。オープンになってるやつ。好きなところ漕いで行って釣りしたり海に飛び込んだりするの。
  • 2階のベダンダ用のござと、ちっちゃいちゃぶ台。ごろごろひなたぼっこりしながら読書したりする。
  • 庭でぼーっとするとき用の小さな腰かけ。ずっと外に出しておくとしたら、雨にも潮にも負けない材質のものかな?
  • 雨合羽と防水の履物。雨の日でも手ぶらで散歩に出かけられるように。

はっきり言って

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ちょびっとの、大切な人たちの笑顔が、そこにあれば、僕は無限。はっきり言って、他に必要なものは、なんにもないんだ。

真っ白

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今週は、月曜はお客さんが会社に打ち合わせに来る予定だったから行った(お客さん来なかったけど)。往復の時間だけで7時間くらいかかって、もう、それだけで消耗した。

火・水・木はおうちでまったりおしごと。なんだか周りは落ち着かないけど、僕は呑気なのかね? のんびり、かつ、アクティブに、逗子で過ごしてる。普段の通勤にかかる往復4時間弱。それを移動以外のことに有効に使えるのがうれしい。それも、平日ののんびりした逗子を存分に味わえるなんて、これは贅沢な状況。

今日はミーティング入れられて、出社。すぐ帰ったけど。

僕の情報源はほぼネットで、妻は超ローカルのFMラジオ「湘南ビーチFM」。このラジオ、海辺に合うまったりミュージックの合間にニュースが挟まるような感じで、しゃべる人の声も心なしかゆったりしてていい。

本当に自分達に必要な情報はTV放送なんかにはほぼ無いから、情報源としていない。大きめの余震があったときにつけるくらい。妻はTVでいつものようにテニスや自転車レースを見たり、昨日は図書館で借りてる小津安二郎のDVD「東京物語」を嗚咽泣きしながら観てたんだとか。僕はムーミンを観て。

ツイッターなんかはお祭り騒ぎのノイズがほとんどで、自分たちに本当に有用な情報は一握り。それだけを逃さないようにしておけばよくて、あとのは流すだけ流す。

僕は自然と、いつもと同じように、過剰・余剰な環境に自分の身を置かないようにしてるんだと思う。限りの無い中の最小限の世界に住むことをいつも無意識に選んじゃう。そこでは、本当に必要なことは、本当にちょびっとだけ。その限られたちょびっとの大切なことは、僕に無限を与えてくれるんだ。

いちいち具体化しないこと。決め込まないこと。傾向と方向を捉えて、それを感じるだけ感じる。するとほら、見えてくる。いつもの綺麗な真っ白が。

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