今日は、、本当に、、いろいろあった。残しておきたい。
3時45分起床。おじいちゃん化が著しい。さすがに早すぎると思い、もう一回寝て、9時5分に正式に起床。しばらくぼんやりして、EAP宛てにメールを書く。休みに入ってからは難しいことはなるべく考えないようにしてたけど、すごくいろいろ考えながら文章を書く。
株式会社○○○に正社員として所属しています、○○と申します。初めてEAP宛にメールさせていただいています。
今年の春頃から体調を崩し、6月に鬱病の診断を医師から受け、薬を服用しながら7月いっぱいまで勤務し、8月から9月いっぱいまでの予定でただいま休職中です。
※そのため会社のメールアドレスではなく個人のものから送信しています
会社の者から、EAPで、休職者向けの復職に向けたプログラムがある、という話を聞きました。よろしければ、詳細を教えていただけますでしょうか。
また、以前から、復職に関すること以外でも、鬱のことを含め、自分自信のことについて、一度EAPで相談させていただきたいと思っていました。
とりあえずは、近日中に直接相談室へ伺ってお話させていただくのが良いかと思っているのですが、、(お電話では難しいです
以下、ざっとですが、事前にお伝えしておこうと思います。
▼会社について
[従業員] 約90名
[主な業務] 企業のウェブサイトの戦略・企画・制作
▼担当業務 ※勤続年数: 7年半
[制作業務]
案件ごとに編成されるチームの中でアートディレクターもしくはデザイナーとして制作業務にあたる
[リーダー業務]
デザイナー全員(約15名)のアサイン調整や支援
デザイナーの代表として経営会議に出席
▼医師の診断
鬱病 (軽度とのこと)
▼服用中の薬
[抗鬱剤] パキシル: 夕食後 30mg
[安定剤] デパス: 就寝前 1mg
[睡眠薬] レンドルミン: 就寝前 0.25mg
▼現在までの経過 等
今年春頃から心労を感じることが多くなり、5月中旬から6月にかけていくつかの大きな負担が重なったことが引き金となり、体調が悪化しました。6月2日に心療内科を受診し、鬱病と診断されました。以降、業務の負担を減らしてもらい、薬を服用しながら勤務していましたが、改善が見られず、不眠などの症状も出てきたため、8月から休職することに。
休職中は、通院しながら、ストレスやプレッシャーとは極力無縁の状態で、のんびりと過ごしていますが、自宅に籠っているとどうしてもだらけてしまうため、なるべく外にでかけるように心がけ、調子の良い時は、友人と会ったり自転車で公園やプールに行ったりすることもあります。旅行にも行っています。気持ちが落ち込むことは少なくなっていますが、睡眠の質は依然として悪く、睡眠薬は欠かせない状態です。生活のリズムは、朝起きて夜寝るようになってきています。
鬱になった原因は、会社や仕事のことが引き金にはなりましたが、そもそも、昔から世の中に対する大きな悲観を持っていたり、自分が、その世の中で社会人をしていること自体にストレスを感じていたため、根が深い部分で疲れてしまったのかもしれないと、自分では感じています。また、もともとの自分の性格の延長のようにも思え、鬱の自分とそうではない自分との境界は見えません。
10月から復職するかどうか、決め兼ねています。
具体的に何を相談させていただきたいのか、はっきりさせられないのですが、自分自身の、いろいろな、気持ちの整理・確認を、お手伝いしていただけるのなら、お願いしたい、、次第です。
以上、
面会によるカウンセリング(?)を希望していますが、その段取りや事前の確認等ありましたら、ご返信いただければと思います。
宜しくお願いいたします。
シャワーを浴びて、15時、眼科に行く。だいぶ前に、目が、鈍く痛い感じがあって眼科に行ったときに、乱視っぽい、ということで、眼鏡を作りそうになったけど、そのときはやめといたんだけど、あれ以降、なんとなーく、近くのものも遠くのものも、輪郭がちらつく感じが、やっぱりあって、もうこうなったらいっそ眼鏡男子になったろか、と思い立って、再び行った。
いろいろ検査みたいなことをする。それをしてくれた女の人が、とても丁寧で、生まれて初めて眼鏡をかける僕の不安を、やわらげてくれた。小柄で、瞳が綺麗。さすが眼科(違 新型インフルエンザ対策とやらでマスクをしてて顔の全部を見られなかったのが残念だった。僕は新型インフルエンザを呪う。
その、いろいろ検査したのが、おもしろくて、新鮮な体験だった。すごいなー、人の眼ってもののプロフェッショナルだなー、ありがたいなー、と思った。焦点を合わせたりする力が、子供の頃が一番いいんだそうで、二十歳を越えたあたりからは衰えていく一方なんだそうな。
これが僕の衰え。よくわかんないけど。
17時30分に予約していた心療内科まで時間があったから、シマウマカフェでお茶読書。そして心療内科へ。「どうだい、世界は」の合い言葉から診察は始まる。EAP宛てに書いたようなことを先生にも話す。EAP宛てに一度考えをまとめてたから、いろいろくわしく話すことができた。これまで自分の中であまりはっきりとさせていなかったことをはっきりとさせて話した。「君は生きていくのが大変だなあ」と言われる。これからは、先生にもっといろいろ話せるようになる予感がした。
薬局に行って、薬をもらう。薬の内容は変更なし。二週間分。妻の耳鼻科の分も一緒にもらう。
妻と待ち合わせて、眼鏡屋へ。生まれて初めての眼鏡。自分にぴったりの眼鏡を求めて。って言っても、初めてだから、どういうものがあって、自分の似合うのはどんなやつ?? さっぱり分からない。店員にあれこれ見せてもらって、かけさせもらっても、よく分からない。なんか、フレームが細くて、黒くて、軽いやつをすすめてもらって、なんとなく、まあ、はじめはこれでいってみようか、っていう気になって、一軒目のその店で、買っちゃう。来週完成。なんか、すごい、楽しいだ。
それから、タイ料理屋に行って、ごはん。人気の店だから、まわりがやかましくて、ぼーっとする。今日は、いろいろ、深く考えて、朦朧とする。なんとか麺、ていうのを初めて頼んでみたけど、すごいうまかった。でも、、ぼーっとしすぎて、、、
家に帰ったら、僕の鍵束がなくなってることに気が付いた。どこかに落としちゃったのかもしれない! 慌てるけど、今の僕は、慌てたり焦ったり急いだりすることが、できない。頭が、身体が、ついてこない。鬱になる前からそうなんだけど。。大急ぎでのろのろと、今日行った場所に電話をかけて、落し物の鍵束がないか、問い合わせてまわる。でも、病院系は診察時間おわってるし、薬局・カフェ・タイ料理屋には無いっていうし、、、どうしよう。自宅の鍵、車の鍵、実家の鍵、島の家の鍵。マンションの自転車置き場にも無い。とりあえず、交番に届けよう、って、交番に行こうとしたとき、沖縄から帰ったままになってた荷物の中から、妻が発見。ああああ、良かった。。。
でも、良くなかった。このことが引き金になって、いろいろ、いろいろいろいろ、蓄積していた妻が、怒って、悲しんで、、泣いてしまった。僕のせいだ。こんな僕のせいだ。無理もないよ。妻の言葉と、姿。それを聞いて、見て、その途端、もう、いけなくなった。ぜんぶ崩れた。泣いた。嗚咽号泣。とまらない。申し訳なくて仕方がない。僕は妻を悲しませてばかりだ。妻だって辛いのに、僕は自分のことばかりだ。妻を幸せにする自信がない。でも今はなにもがんばれない。もう、なにもわからない。
気がつけば、泣いているのは僕だけ。妻がなだめてくれている。でも、とまらない。ほんとに、ほんとに、ごめん。僕なんて捨てられても仕方がない。でも、それは、耐えられない。こんなに泣くのって、いつぶりだ? とまらない。。
とまった。
でも、いろいろ、本音で、話した。これまで、本音で話し合うなんて、なかった。感覚とか雰囲気で、一緒に暮らしてた。別に関係ないけど、9月15日は、二人が付き合い始めた日。ほんと、関係ないけど。泣いて目が腫れるっていうのは、こういうことなのね。小さい目が、もっと小さくなっている。
はぁ、、、
EAPから返事がきてた。土曜日に行ってくる。とりあえず、行って、なんか、いろいろ話をきいてもらおう。カウンセラーの人の前でも、泣いちゃうかもなー。まあ、、いいんだけど。
会社の人たちには申し訳ないけど、10月からの復職は、いまのところ、無理そう。今日、それがわかった。会社も、そこにいる人たちも、好きだから、またもどって、一緒にいいものつくりたいと思うから、まずはそれを目標にする。自分のものづくりの力を試しきっていないし。でも、駄目かもしれない。もう、新しいものを次々につくる立場は耐えられないかもしれない。資源を消費して、モノをあふれさせる立場では働けないかもしれない。あふれたモノを片づけたり、綺麗にしたりすることに関わる仕事に転職するタイミングなのかもしれない。わからない。
もう、今日はいろいろあって、わからない。なにも考えられない。でも、今日のことは、残しておきたい。妻は疲れてもう寝てる。明日仕事だもんね。僕は、冷蔵庫のビール全部のんじゃって、調理用のワインを飲んでいる。あほだ。
鬱のひとは、ある程度ひどくなると、自殺願望が湧くらしい。僕は死にたいとは思わない。昔からなにも欲求がなくて、虚無的な思考だけど、世の中をずっと見守っていたいという強い気持ちがある。好きな人たちの笑顔をずっと見ていたいという強い気持ちが支えになってる。とてもとても強い。これがある限り、死なない。死にたくない。僕はすぐに人を好きになる。好きな人はどんどん増えていく。死ねない。生きて、見守る。できるだけ、たくさんの人を好きになって、見守る。笑顔をつくる。これが僕の生きる意義。
あと、子供をほしいな。親の苦労を、身をもって知っておきたいと思うから。できれば、親が生きていて、感謝の気持ちを伝えられるうちに。